多摩市、町田市の境の尾根上に延びる道筋は現在よこやま道と呼ばれ古代から江戸期にかけて使用された生活道でした、鎌倉街道上道、奥州古道、古代東海道などと交差するこの道筋は交易、軍事、参拝などに利用されていました。
掘割状の道筋
よこやま道は現在ハイキングコースとして多摩東公園と長池公園間を結んでいます、(写真は多摩東公園付近の掘割状に整備された道筋)
瓜生黒川往還道
多摩東公園から1km程進むと川崎市麻生区黒川と多摩市永山瓜生を結ぶ江戸期の交易路瓜生黒川往還道と交差します、よこやま道は多摩丘陵を通る幾つもの街道筋を結ぶ連絡路でした。
丸山城址
瓜生黒川往還付近の尾根上に中世の砦址があります、物見の砦で一説に古代(奈良期)の頃から存在していたとも云われています、狼煙で近くの高台と連絡し合っていたと考えられよこやま道とその近辺の監視台的な役割を果たしていました。
防人見返り峠
万葉歌の中に(多摩の横山)とあり奈良期、防人として九州へ向かう人々がこの高台の峠道で故郷を見て別れをおしんだ事から現在よこやま道と名付けられたそうです。
峠からの下り道
この付近から多摩ニュータウン市場裏手にかけて古代東海道(奈良期の官道)と合流しています。
鎌倉北条軍野営地址
1333年(元弘3年)元弘の変に措いて鎌倉北条軍は分倍河原の戦い前夜この尾根道下手で野営をしたそうです。
切通址
(国士舘大学裏手の切通)
この切通の辺りには並列する古道址が幾つも見つかっています。
古代東海道
写真中央の谷間が奈良期の東海道となります。
尾根上に通されたよこやま道
よこやま道は尾根上に通された街道筋と街道筋を結ぶ連絡路でした、古代に上方への納税や防人に使われ中世には軍事、交易に利用され江戸期は商い、参拝を目的とした人達がこの街道を通りました、また江戸末期の頃新撰組もこの街道を利用していたそうです。
鎌倉街道上道本道との合流地点
妙櫻寺(恵泉女学院大学前交差点手前)でよこやま道は鎌倉街道上道本道と一旦合流します。
鎌倉裏街道
一本杉公園の裏手でよこやま道は鎌倉裏街道と呼ばれた小野路宿から鎌倉街道上道と平行する交易道と交わります。
一本杉公園
よこやま道は一本杉公園に向かいます、この公園内は庭園風に配置された池や18世紀に建築された旧民家などが移築され古街道沿いの村落をイメージしています。
旧加藤家住宅
一本杉公園内には江戸中期の農家加藤家と有山家の住宅が移築されています、公園管理の方の話によればこの旧家は街道筋に在ったものを此処へ移築したそうです。
旧有山家住宅
屋根は元々茅葺でトタンは保存の為近年貼り付けたそうです。
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