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八王子宿(横山宿)   
         
         
   
 (八王子宿追分)  
         
         八王子 宿、旅館、ホテル
  江戸期以前に八王子の宿は現在の八王子市街地から南西方向の多摩川河川沿いに築城された滝山城の城下町でした、小田原北条氏の支城であった滝山城は1569年(永禄12年)に武田信玄の猛攻を受け三の丸まで攻め込まれる事態と成り此れを期に城主「北条氏照」は防衛の拠点を要塞堅固な八王子城に定め政治、経済の中心を滝山城としました、1590年(天正12年)に小田原北条氏が豊臣秀吉の小田原攻めの後に滅びると関東は徳川家の領有しる地と成り徳川家康は旧武田家の家臣である大久保長安に八王子宿の整備を命じます、更に滝山城下の住民を八王子宿に移動させ旧武田家の家臣達を国境の警備の任務に就かせています、これが後の八王子千人隊です、八王子宿は横山宿と呼ばれ新町、横山宿、八日市宿、本宿、八幡宿、八木宿、子安宿、馬乗宿、小門宿、本郷宿、上野宿、横町、寺町、久保宿、嶋坊宿の十五宿で構成され宿内には甲斐国、信濃国などから大量に生糸などが運び込まれる様に成り織物工業が盛んに行われていました、その為八王子宿は甲州街道筋で最大の宿場町に発展したのです。  
 サンホテル八王子

  「じゃらんnet提供」
 
 八王子駅から直ぐ、周辺に飲食店、コンビニがあり大変便利です、品数豊富な朝食バイキングが人気です。

 無線LAN接続無料。

 クチコミ評価

 JR八王子駅南口より徒歩3分。


 ザ・ビー八王子

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 京王八王子駅中央口から直ぐ、周辺にコンビニ、ファーストフード、飲食店あり、清潔なホテルとクチコミに見られます。

 無線LAN接続無料。

 クチコミ評価

 京王八王子駅中央口から徒歩1分、JR八王子駅北口からも徒歩7分。


       
 八王子宿追分
       
 
 甲州街道筋は淺川を渡り南多摩高校前の交差点で国道20号線と合流して現在の八王子駅入口交差点を辺りから横山宿、八日市宿、八幡宿、八木宿と町並みが連なり追分町に達していました、此処で甲州街道筋は陣場街道(案下道)と分岐しています(現在の追分町交差点)、陣場街道とは案下川、案下峠を経由して相模国の津久井郡佐野川に至る古道です。 
 

       
追分交差点の道標 
       
 
 追分町交差点の分かれ目に立つ石柱は1822年(文化8年)に江戸の清八なる人物が高尾山に銅製の五重塔を奉納した記念として甲州街道沿いの新宿、八王子追分、高尾山麓の三箇所に建立した道標の一つです、現在の道標は大戦中の空襲により4つに割れた状態から近年に復元した物です、その右面に「あんげ道」、正面に「甲州道中高尾山道」、左面に「文化十年 江戸清八」、裏面に「千人町」と刻まれています。 

 
         
八王子千人同心屋敷跡   
         
   
 追分から都道521号線に入った直ぐの所に八王子千人同心屋敷跡の碑が建っています、丁度甲州街道と陣場街道の間の道標裏手から千人町にかけて八王子千人同心の屋敷群が建ち並んで いました、所謂八王子千人町とは千人同心の居住区でした。  

 
         
八王子千人同心とについて   
         
 八王子千人同心とは元々甲斐武田氏の家臣団であり徳川家康がそれを召抱え国境警備などに就かせていました、1590年(天正18年)に小田原北条氏が滅亡した後に関東に入府した徳川家康は旧武田家の家臣と小田原北条氏の旧臣合わせて250人に八王子城下(元八王子)の警備を言い渡します、その後「関ヶ原の合戦」前に人数を千人に増やし八王子千人同心隊が成立したのです、千人同心隊は千人頭一人に対して組頭10人の平同心90人で各支隊が構成され10の支隊で千人同心隊となっていました、当初千人同心隊は関ヶ原の合戦、大阪冬、夏の陣に従軍するなど軍事活動に借り出されていましたが戦乱後には将軍の日光参拝の警護や日光の火番、江戸火消し役などを行っていました、1853年(嘉永6年)にペリーが浦賀に来航すると千人同心隊は西洋式ライフルの訓練を行い第二次長州征伐などで活躍します、江戸城開城後には日光の代番であった千人頭の「石坂弥次右衛門」は官軍に日光を引き渡して切腹をし千人同心隊は解体されました。
 また千人同心隊の一部の支隊は18世紀初頭に蝦夷地の開拓にも従事しています、しかし過酷な環境下で病死者のどを多数出して事業は失敗に終わっています。
 

 
         
  千人同心組頭屋敷  
         
   
    (東京建物園内保存の組頭屋敷)   
   
 千人町には組頭屋敷も在り現在東京都小金井市の「東京建物園」内にその内の一棟が保存されています、土壁、茅葺の入母屋造りで家柄の格式を表した式台以外に当時の一般農家と略同じ造りです、千人同心隊は半農半士で普段は農作業に従事する身分の低い武士でした。   

 
         
 街道筋のイチョウ並木   
         
   
 追分交差点から高尾駅交差点までイチョウ並木が続いています、このイチョウ並木は大正天皇の多摩稜造営時に植えられた物です。   
         
高尾駅   
         
   
 甲州街道筋は国道20号線と同じルートで多摩御稜入口交差点まで続きその先で20号線から一旦反れて800m程先でまた20号線と合流します、そこから高尾駅前交差点を通り抜けていました。
 JR高尾駅は1901年(明治34年)に官設鉄道の八王子駅~上野原駅間の開通にともない「淺川駅」として開業されました、甲府駅までの延長は1906年(明治36年)であり20世紀初頭まで甲州街道筋は主要幹線道路として大いに利用されていたのです、2015年の時点で高尾駅から塩尻方面に向かう車両には115系などの旧型車両も現役で活躍しています。 
 
         
   
(高尾駅を走る115系車両)   

 
   
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