関東、温泉と旅行記 |
横浜、鎌倉方面 |
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甲州街道筋は駒木野宿へと向かいます、高尾駅前交差点から国道20号線沿いに進み中央本線の高架を潜り200m程進んだ西浅川の信号を西方向へと曲ります、その西へ曲がった通りが旧甲州街道筋で信号から500m程先が駒木野宿です。 |
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高尾山 |
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(高尾山表参道) |
(高尾山ケーブルカー乗り場) |
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一旦国道20線を直進して高尾山に立ち寄ってみます、西浅川の信号から国道20号線を高尾山入口の信号を右側に曲がると高尾山表参道です、参道の両側には食堂、御土産屋が建ち並び門前町と成っています、参道を進むとケーブルカー、ゴンドラの乗り場前に出ます、山頂部に登る為にはこのケーブールカー、ゴンドラに乗車します。 |
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(高尾山薬王院仁王門) |
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30分程歩くと薬王院参門前に着きます、高尾山は744年(天平16年)に行基により薬王院が創建されたのがはじまりです、甲州街道は此処高尾山の参拝道でもありました、高尾山の山頂から小仏峠、陣場山へと通じる古道も存在しています。 |
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駒木野宿 |
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駒木野宿は宿内の小仏関所(細木の関)が1616年(元和2年)に小仏山頂からこの地へ移転した事に伴い開かれた宿場です。 |
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駒木野橋 |
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駒木野宿は比較的に規模は小さい宿場です、宿の中程には浅川に流れ落ちる澤があり駒木野橋が渡されていました、その脇には駒木野橋の架け替えの碑が置かれています。 |
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(駒木野橋架け替えの碑) |
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小仏関所 |
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駒木野橋を渡ると甲州街道筋は小仏の関所を通り抜けていました、小仏の関所は元来「小田原北条氏」が甲斐武田氏との国境である小仏峠に設立したもので当時は60人もの兵が配置され砦の様な役割を果たしていました、1616年(元和2年)に徳川幕府の五街道整備によりこの地に移転されました。 |
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(手形石) |
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関所は常時4人の関番により警護されていました、関門が開かれる時間は午前6時から午後6時に定められ手形を番所の前の手形石におき両手を手付石においた状態で通行許可を願い出たと云います、一般の町人手形は名主が発行し重要な鉄砲手形などは老中が発行していました。 |
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関所西側の宿場 |
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小仏の関所を抜けるた西側にも旅館街が連なっていました、その旅館街の先は石碑などが建ち並ぶ念珠坂で宿の西口に成ります。 |
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(念珠坂) |
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行者宿 |
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(浅川) |
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駒木野宿を過ぎると浅川が街道筋に接近します、小仏麓までの道筋 は略浅川沿いです、中央高速道八王子ジャンクション手前に行者衆の宿泊する行者宿(講)が在ります、この行者宿の軒下には宿泊した行者衆の名簿が張られています。 |
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レンガ造りの高架 |
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JR中央本線のレンガ造り高架を潜ります、旧小仏トンネル(上り線)も同様にレンガ造りなので施工は同じ年代の1901年(八王子~上野原間開通時)と考えられます。 |
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小仏峠の麓 |
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(麓の駐車場) |
(峠道入口) |
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小仏峠の麓は駐車場で車両の侵入は此処までです、此れより先は甲州街道の難所の一つ小仏の峠道です、駐車場から少し進むと水場が在り更にその先は切通しと成っています。 |
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(水場) |
(切通し状の道筋) |
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小仏の登り |
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八王子側からの登り坂です、旧街道筋の峠道らしく掘割状のつづら折道と成っています、道幅は大変狭く場所によっては馬一頭がようやく通れる程の間隔です。 |
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小仏の山頂 |
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(峠からの遠望) |
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小仏峠に到着します、駐車場から大凡30分程です、小仏峠は武蔵国と相模国の国境に位置する峠で北に景信山、南に陣場山(小仏城)の山頂が連なっています、所謂此処は陣場街道へ通じる道やそこから高尾山薬王院へ向かう道、津久井方面への抜け道などが入組んだ交通の要所でした。 |
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(小仏峠に建つ明治天皇の小休所跡の碑) |
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甲州街道 |
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