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甲府宿 
       
       
 
(躑躅ヶ崎館) 
       
 甲州街道筋もいよいよ甲府宿に達します、甲府は1519年(永禄19年)に武田信虎が古代より甲斐国の中心地であった石和(川田館)から甲府市内の府中の高台に躑躅ヶ崎館を築き家臣団を住まわせ政務、経済活動を行ったのが始まりです、甲斐武田氏が滅びると豊臣大名の浅井長政により現在の甲府駅付近に甲府城(鶴舞城)が完成され「関ヶ原の合戦」以後には「甲府市」周辺は徳川親藩の領有する地と成り甲府藩が成立します、それにより甲府城の城下が整備され甲府宿が誕生しました。

       
和戸町 
       
 
 和戸町に入ります、この辺りには土蔵、長屋門を構えた家屋が点在しています、和戸は奈良期には既に宿が形成され平安期には「表門郷」と称され独立した行政区であったと云います。 
  
    (和戸町の道祖神) 
       
 和戸町の中ほどに丸石を積重ねたちょと変わった道祖神が在ります、この道祖神はこの辺りで一般的な道祖神の形態だそうです。 

       
酒折宮の道標
       
 
 和戸を過ぎて山崎に入ると山崎の刑場跡の碑が在りそこから100m程先に酒折宮道標が建っています、酒折宮は酒折村の村社で日本武尊が蝦夷討伐の際に立ち寄ったとされ連歌発祥の地としても知られています、現在は700m程先の酒折宮入口交差点から宮に通じていますが甲州街道時代にはこの道標から道が繋がっていたのでしょう。

       
 甲斐善光寺
       
 
 善光寺入口の丁字路から北方向へ延びる道は善光寺通りと言われ甲斐善光寺の参道です、甲斐善光寺は第二次川中島の合戦で信濃善光寺が戦火にさらされると武田信玄は本尊「阿弥陀如来像」や寺宝を甲府へと移転させ1558年(永禄元年)に甲斐善光寺を創建します、本堂などはその後の1565年(永禄8年)に完成しました。 

       
石川家住宅 
       
 
 善光寺入口丁字路から100m程先で甲州街道筋(国道411号線)は「鍵の手」状に屈曲しています、この辺りには枡型が設けられその先に土蔵造りの石川家住宅が建っています。 

       
甲府城 
       
 
 JR中央線甲府駅前に築かれている甲府城は徳川家康の家臣「平岩親吉」により築城が開始され羽柴秀勝、加藤光泰を経て浅野長政、幸長の親子により完成されます、その後城下が整備され内郭には武家が居住し外郭は町人町に成りました。 

       
 躑躅ヶ崎館
       
 
 甲府駅の反対側にまわり甲府駅北口交差点から県道31号線を北上します、2、5km程進むと武田神社に突当たります、此処が甲斐武田氏の本拠地である躑躅ヶ崎館でした、神社内には武田信玄公御使用井戸など甲斐武田氏に関連した遺構が残っています。 
 
    (信玄公御使用井戸) 

 
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