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甲州街道は江戸期に幕府により整備された5街道の一つで江戸日本橋から内藤新宿、高井戸、布田、府中、日野、八王子を通り小仏峠を越えて相模国に一旦入りそこから甲斐国に向かいます、中山道、東海道と比較すると距離も短く人の往来も少ない状態で参勤交代の大名も信濃国高遠藩、高島藩、飯田藩の3藩に限られていました。
内藤新宿を抜けた甲州街道筋は笹塚を通り高井戸へ入ります、高井戸宿は甲州街道筋が開通した1602年(慶長7年)に設立されその2年後には下高井戸、上高井戸に分けられます、当初旅館が24軒存在していましたが1698年(元禄11年)に内藤新宿が新設されると宿場の利用者も激減して旅館数も6軒となります、また参勤交代の大名の宿場利用も減り脇本陣もおかれていませんでした。 |
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宗源寺 |
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下高井戸に入ると国道20号線沿いに宗源寺が建っています、この宗源寺の西隣に本陣がおかれ斜め向かい側には問屋場が設けられていました、此処宗源寺付近が下高井戸の中心街です、その宗源寺内の不動尊は元々近くの高台に在った事から「高井堂」と呼ばれ高井戸の地名の由来でした。 |
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上高井戸のY字路 |
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(上高井戸Y字路) |
(上高井戸に見る古い商家) |
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甲州街道筋は国道20号線沿いを進み環状8号線の高架を潜り上高井戸のY字路から左方向へ反れます、このY字路の手前付近に上高井戸の本陣が設けられていたと云います。 |
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大橋場跡、石仏群 |
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(鳥山村大橋場跡) |
(石仏群) |
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上高井戸を過ぎて鳥山へ入ると鳥山村大橋場跡の記念柱が建っています、更にそこから1km程進んだ道路の反対側に旧甲州街道筋の面影を留める古い石仏群が並んでいます。 |
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里程標(新一里塚) |
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鳥山から給田町へ入ると里程標の石柱が道路右手に見えます、この石柱は明治のはじめに内藤新宿の高遠藩内藤家下屋敷(新宿御苑内)を起点とした(新一里塚)と称され甲州道筋の道標となっていました、石柱には「品川県」と刻まれています。 |
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仙川 |
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給田の西端は仙川が流れ甲州街道筋はその仙川に架かる大川橋を渡りその先で国道20号線と一旦合流します。 |
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甲州街道 |
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