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上野原本町から国道20号線を700m程進むと県道30号線と合流する丁字路が在りそこから甲州街道筋は県道30号線沿いを北方向へと延びていました、400m程先のつづら折状の坂を下ると鶴川が流れ渡り切ると鶴川宿へと入ります。 |
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鶴川の渡し場 |
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県道30号線のつつら折りの坂の下は鶴川の渡し場でした、この辺りの鶴川は流れも緩やかで深さも無く徒歩でも十分に川越できますが、増水時でも徒歩で渡っていたと云います。 |
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鶴川宿 |
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鶴川を渡り少し進むと鶴川宿の碑が建っています、鶴川宿は1842年(天保14年)の頃には人口295人、戸数57軒、本陣1軒、脇本陣2軒と比較的に規模の小さい宿場でした。
本陣は宿の北口の木戸付近におかれていました。 |
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掘割状の峠道 |
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鶴川宿の北端の現在Y字路と成っている場所で甲州街道筋は県道30号線から離れ大きく南方向へと曲ります、そこから500m程先の街道筋は深い掘割状の峠道に成っていました。 |
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大椚一里塚 |
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掘割状の道筋を抜けると甲州街道筋は中央自動車道沿いに通されていました、200m程進みと中央道を渡る橋が在りそこを渡った200m先に大椚一里塚跡の碑が建っています、この一里塚は江戸日本橋から19番目であり19里(76km)に位置しています。 |
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大椚の十三夜塔 |
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大椚の集落の手前に十三夜塔が建っていましす、側面には「寛政十二年準庚中ノ日」と刻まれています。 |
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大椚宿 |
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十三夜塔の少し先から大椚宿に入ります、宿場と言っても鶴川宿と野田尻宿の宿間の「間宿」で正式な宿場ではありませんでした、その為本陣、脇本陣などはおかれていませんでした。 |
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吾妻神社と大椚観音堂 |
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(高台上吾妻神社、高台下大椚観音堂) |
(観音堂前の杉の巨木) |
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大椚宿の西側に吾妻神社と大椚観音堂があり大椚観音堂には木造の千首観音像と大日如来像が安置されてます、その観音堂前の2本の立派な杉の巨木は目を瞠るものがあります。 |
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甲州街道 |
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