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江戸日本橋から数えて21番目の宿場町である初狩宿に入ります、初狩宿は比較的裕福な宿場町であったと見られ街道筋には古い蔵などが幾つか建っています、町並みは江戸側から下初狩宿、中初狩宿の2宿に分けられていました。 |
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聖護院道興歌碑 |
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下初狩宿の東側の中央線踏切脇に聖護院道興の歌碑が建っています、道興は関白近衛房嗣の子で仏門に入り諸国を旅して各地の霊場、名所を訪れています。 |
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山本五十六生誕の地 |
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歌碑から少し先で甲州街道筋は国道20号線と合流します、そこから100m程西側に1943年(昭和18年)太平洋戦争の最中にブーゲンビル島上空で搭乗機が米軍に撃墜され戦死した連合艦隊司令長官山本五十六の生誕の地の碑が建っています。 |
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街道脇の廿三夜塔と常夜灯 |
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山本五十六の碑の隣に常夜灯と廿三夜塔が在ります、廿三夜塔には「下初狩中」と脇に刻まれています。 |
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芭蕉の句の碑 |
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初狩小学校の校庭に「山賊乃願」と刻まれた芭蕉の句の碑があります、芭蕉は江戸の大火で焼け出されこの地に逃れ5ヶ月間滞在しています。 |
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中初狩宿 |
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初狩小学校付近から中初狩宿に入ります、中初狩宿は中心市街から幾らか離れている為か土蔵や旧旅館、旧商家の建物が幾つも残っています、中にはレンガ造りの立派な蔵もあり初雁宿の豊かさを見る事ができます。 |
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(レンガ造りの蔵) |
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中初狩宿本陣 |
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芭蕉の句の碑から500m程甲州街道筋を西へ進むと「明治天皇御小休の碑」が建つ中初狩宿本陣が在ります、下初狩宿には本陣が2軒、中初雁宿には1軒の本陣がおかれていたと云います。 |
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石仏、石碑群 |
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上記のレンガ造りの蔵の通りをへだてた正面に石仏と石碑群が見られます、大凡この辺りが初狩宿の西口であったのでしょう。 |
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笹子川沿いの甲州街道筋 |
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初狩宿を出ると甲州街道筋は笹子川に沿って次の宿場である白宿へと通じています。 |
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甲州街道 |
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