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笹子町白野で甲州街道は国道20号線から右側に反れます、反れた先が白野宿です、白野宿を抜けると国道20号線と一旦合流して100m程先のY字路でまた右にそれ原の集落を通りもう一度20号線と合流して阿弥陀海宿、黒野田宿へと通じていました。 |
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白野宿 |
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白野宿は江戸日本橋から21番目の宿場で国道から反れている為か宿通りは大変静かです、現在も土壁、出梁造りの古い旅館、商家などが建ち並んでいます。 |
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白野宿本陣、脇本陣跡 |
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白野宿の西側の街道沿いに脇本陣が在りその隣の細い路地を隔てた更に西側には白野本陣今泉家が建っていました。 |
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(本陣今泉家) |
(本陣、脇本陣前の街道筋) |
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宝林寺への参道 |
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本陣と脇本陣の合間の細い路地は宝林寺の参門へと通じていました。 |
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子神社と立石坂 |
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白野宿西口に子神社が在りそこで甲州街道筋は国道20号線と合流して100m程先のY字路でまた20号線からそれます、その先の中央本線高架を抜けると立石坂の標柱が建っています、立石坂標柱の建つ坂道を登った所が原の集落です。 |
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原の集落 |
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原の集落は「葦ヶ池」と呼ばれる大きな沼が南側に在った関係で高台に開かれた集落でした、白野宿と同様に古い町並の集落です。 |
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稲荷神社と葦ヶ池 |
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(葦ヶ池の碑) |
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集落の中程に稲荷神社が祀られています、その稲荷神社の正面には「親鸞聖人念佛塚」建っています、親鸞聖人が原の集落に立ち寄るとこの地を治める地頭より集落下に広がる葦ヶ池に住む毒蛇の霊をいさめる様に頼まれました、毒蛇は地頭の娘「葦」の化身で修行僧との恋がかなわず沼に身を投じたと云います、親鸞は「葦」の名を小石に書き沼に投げたところ葦の霊は成仏したと云う伝説が残っています、葦ヶ池は現在埋め立てられていますが当時は直径300mに及ぶ大きな沼であったそうです。 |
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阿弥陀海宿 |
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原の集落を抜けるとまた国道と合流します、合流して1km程進むと阿弥陀海宿です、阿弥陀海宿は次ぎの黒野田宿に属する宿場でその二宿の宿間はほとんど無く宿どうしが繋がった状態でした、阿弥陀海宿に入ると世界一大きい太鼓の「世界平和太鼓」で知られる「笹一醸造元」が左側に在りその先には名物「笹子餅」の看板が立っています、笹子餅とは笹子駅前で「みどりや」により笹子峠口の名物として販売された「笹一醸造元」の酒粕をもちいた酒饅頭です。 |
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黒野田宿本陣 |
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中央本線笹子駅入口から1km程進むと「明治天皇行在所跡」の碑が建つ冠木門が見えます、此処が黒野田宿本陣です、黒野田宿は規模の小さい宿場でしたが笹子峠の東口として大変賑わった宿場でした。 |
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普明院と黒野田一里塚 |
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黒野田本陣を過ぎて笹子川を渡ると普明院の参門が開いています、その参門の脇に黒野田の一里塚が設けられていました、江戸日本橋から25里の一里塚で丁度100kmの道のりです。 |
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一里塚から先の甲州街道筋は黒野田宿付の宿場である追分宿を通り甲州街道最大の難所である笹子峠への上り坂となります。 |
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甲州街道 |
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