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(鶴瀬宿関所) |
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駒飼宿からの甲州街道筋は中央自動車道の高架を潜りそのまま国道20号線と交わって100m程先で国道から南側に反れて日川を渡ります、渡った先が鶴瀬宿で宿の中程でまた国道と合流し勝沼宿へ向かっていました。 |
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鶴瀬関所址 |
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甲州街道筋は一旦国道から反れて日川を渡ります、日川を渡ると直ぐに鶴瀬宿の東口でそこには鶴瀬関所が設けられていました、この関所は「鶴瀬口留番所」とも云われ主に米、木材など課税対象となる品物の横流しの監視を行っていました、江戸期には税を徴収される前に課税対象物を勝手に横流して脱税を行う行為が横行していました。 |
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鶴瀬宿 |
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鶴瀬の関所の西側には鶴瀬宿の町並みが連なっていました、鶴瀬宿は江戸日本橋から31番目の宿で距離にして約120km、甲府までは約20kmの位置です。 |
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長垣の吊橋 |
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鶴瀬宿から甲州街道筋は国道20号線と同じ道を通っていました、2km程進むと国道はトンネルに入り甲州街道筋はトンネルの左側に一旦反れます、反れた所に長垣の吊橋が日川の対岸に架けられその脇に長垣の吊橋とぶどう畑を記念した碑が建っています、この吊橋は昭和37年の完成でわずか50年程でこんなにも朽果てるのかと少し驚きました。 |
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柏尾の古戦場 |
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国道20号線を進むと勝沼市街が一望できる場所に出ます、その先の深沢入口の丁字路に柏尾の古戦場の碑が建っています、1868年(明治元年)「近藤勇」率いる新撰組と会津藩のから成る幕府軍が甲府城の官軍と此処深沢で激戦を展開しています、幕府軍は勝沼、深沢の対岸に砲台を設けて官軍と交戦しますが三方からの強襲をかけられ大敗したと云います。 |
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大善寺 |
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甲州街道筋は「ぶどう寺」で知られる大善寺の前を通ります、大善寺には薬師堂なんど鎌倉期から江戸期にかけての文化財が多数あります。 |
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国見坂 |
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国見坂は甲州街道筋の脇往還と交差路であったと云います、国見坂の先のY字路で甲州街道筋は国道を離れ県道38号線となり勝沼宿に入ります。 |
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勝沼宿 |
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(上町交差点) |
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勝沼宿は元々甲斐武田氏の一族の勝沼氏により開かれた町で1618年(元和四年)に宿場に指定されました、1686年(貞亭3年)には上町、仲町、下町、横町、上新町、下新町に町割りがなされています、1843年(天保14年)の時点で家屋192軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠屋23軒、問屋場1軒と比較的規模の大きい宿場でこの辺りの経済の中心地でありました。 |
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勝沼氏館 |
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勝沼氏は武田信玄の父「武田信虎」の弟が「勝沼信友」と称してこの地に居館を築いたと云います、当初郡内地方の小山田氏に対する権勢を目的として信友は勝沼に派遣されましたが子息である「勝沼信元」は信玄に謀反を企て勝沼氏は断絶となります。 |
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勝沼宿本陣跡と槍掛けの松 |
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勝沼氏館入口から200m程進むと勝沼宿本陣跡があります、本陣跡には「槍掛けの松」と呼ばれる宿泊した大名の家臣達が槍を掛けたと云われる老松が一本立っています。 |
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小佐手小路 |
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本陣跡の隣の小佐手小路は御佐手小路と呼ばれ勝沼氏統治時代からの小道であったと云います、両側に家臣団の屋敷群が建ち並び「鍵の手」なども設けられていたそうです。 |
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仲町の旧商家群 |
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(仲松屋) |
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小佐手小路の先の仲町には土蔵など古い商家の建物が建ち並んでいます、その一角の仲松屋は元来江戸期の東屋と明治期の西屋の二棟建であったそうです。 |
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三階建の土蔵と旧田中銀行跡 |
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(旧田中銀行) |
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仲町を抜けるとちょと珍しい3階建の土蔵と旧田中銀行の建物が建っています、3階建の土蔵は明治20年の大火の後に建てられた地上3階、地下1階の土蔵でその先に在る旧田中銀行の建物は明治30年代に勝沼郵便電信局舎として建られたものを大正9年に山梨田中銀行が買い取った建物です。 |
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勝沼ぶどう郷 |
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勝沼町はぶどうとワインの産地として知られています、ぶどうの栽培は明治の始めに始まり明治10年には日本葡萄酒会社が此処勝沼に設立されます、当時はフランスまで伝習生をおくり醸造技術やぶどうの品種改良を行っていました。 |
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甲州街道 |
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