関東、温泉と旅行記 | 木曽方面 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中山道は軽井沢宿から草津道との分かれ目である沓掛宿を越えて追分宿を抜けます、追分宿は読んで字の如く中山道と北国街道(善光寺街道)との分岐点に位地する宿場町です、軽井沢宿、沓掛宿と追分宿は浅間根越の三宿と呼ばれ交通の要所で関東と上州の旅客、物資輸送の為に馬子衆の一大集結地となっていました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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信濃追分旅館、ホテル、宿泊施設 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
追分一里塚 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リブマックス リゾート軽井沢フォレスト 「じゃらんnet提供」 天然温泉付きホテルです、コスパのいい宿とクチコミに幾つか見られます、朝食バイキングがリーズナブルでなかなかの人気。 クチコミ評価 しなの鉄道「信濃追分駅」より徒歩にて約10分 |
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(追分一里塚、 国道からの分かれ目、) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国道18号線の追分丁字路の先に追分一里塚の址が在ります、現状大変良好な状態で保存されています、此処を過ぎると中山道は国道を反れて追分宿へと向かいます。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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追分宿郷土資料館 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国道から脇道(中山道筋)に入り100m程先に追分公園があります、公園内には郷土資料館と浅間神社の社殿が建立されています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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浅間神社 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郷土資料館に隣接する浅間神社は1869年(明治2年)浅間山の噴火、地震の前兆である鳴動が激しくなり動静祈願のため明治天皇の勅祭が行われたと云います、社殿は室町時代初期の造りです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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歌い坂、泣き坂、笑い坂 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
浅間神社の鳥居前から歌い坂、泣き坂、笑い坂と宿入口まで緩やかな坂道が連ねっています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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追分宿東口の「しょうじん橋」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
しょうじん橋を渡ります、この橋は追分宿の東口で此処から先が宿内です。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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堀辰雄文学記念館 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宿内に入ると直ぐに堀辰雄文学記念館の前に出ます、1924年(大正13年)堀辰雄は追分宿を訪れ此処を舞台にした「菜穂子」を書いています、辰雄は晩年追分に家をかまえて障害を終えていました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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追分宿を抜ける中山道筋 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
追分宿の町並みは1843年(天保14年)に東西5丁42間(580m)で人口712人、家屋103軒、本陣1、脇本陣2、旅館35軒、問屋場1軒でした、元禄時代には飯盛女が200以上いたそうです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ほんもの市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
丁度脇本陣油屋の敷地で「ほんもの市」が開催されていました、毎年10月頃に開かられるアートとクラフトと本の露天市場です、「ほんもの市」とひらがなの記載であったので伝統工芸品、昔ながらの地場産品の市かと思いました、本と物の市で「ほんもの市」です。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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高札場 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脇本陣油屋から100m西に高札場があります、この高札場付近が問屋場であった様です、この高札場は1633年(寛永10年)の古文書元に大きさと形をそのままに復元されてます。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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泉洞寺参門 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高札場から更に西に200m進むと泉洞寺の参門前につきます、この泉洞寺の東隣が追分宿の本陣跡です。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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枡形茶屋 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
泉洞寺から200先で中山道は国道18号線と合流します、この合流点が追分宿の西口です、丁度この辺りに「つがる屋」と言う茶屋がありその店先は宿場の警備上出入りを取り締まる為の枡形の土塁となっていました、その事から茶屋「つがる屋」は枡形茶屋と呼ばれていたのです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(枡形茶屋、つがる屋) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
江戸期の宿場は枡形、辻道、木戸の様な町並みを利用した警備の為の設備が幾つも施されていました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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北国街道(善光寺街道)と追分 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
追分宿を出ると直ぐにY字路となり国道から反れる道路が在ります、これが北国街道(善光寺街道)でこのY字路が宿場の名となった追分(街道筋の分岐点)です、国道18号線側は中山道で街道筋の間には常夜灯、道標、石碑が立っています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
追分は宿場の西口の目と鼻の先に在り此処から北国街道は小諸、海野、上田を経由して長野善光寺へ向かいそこから越後へと達していました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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浅間山 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
街道から外れ信濃鉄道の信濃追分駅近くに行ってみます、此処からは浅間山が一望できます、1783年(天明3年)浅間山が大噴火を起こしてこの辺り一帯に多大な被害をもたらします、火砕流は反対の群馬嬬恋方面へと流れたのですが追分原一帯には大量の火山岩が吹き飛んできました、後年訪れた松尾芭蕉は「ふきとばす石も浅間の野分かな」と当時の状況の凄まじさを句にしたためています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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中山道 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(北国街道) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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