(小田井宿東口枡形) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中山道は追分宿の先で国道18号線から反れて御代田へと向かいます、途中信濃鉄道御代田駅の東方向の一里塚を過ぎると信濃鉄道の線路により中山道は途切れてまいす、その為に一旦御代田駅へ周り踏切を越えて街道筋まで戻ります、そこから先は緩やかな坂道が続き小田井宿の東口へと続きます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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小田井宿東口枡形 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中山道筋は県道137号線と交差します、此処が小田井宿東口で木戸は宿場の治安と防衛の為の枡形状の小口となっていました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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小田井宿 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(小田井宿を流れる用水路跡) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1843年(天保14年)の小田井宿の人口は319人、家屋107軒、本陣と脇本陣がそれぞれ1軒、旅籠5軒です、宿場は小規模であり旅館はわずか5軒しか無く大半が農家の寒宿で大名の宿泊も少なかったと云います、しかし皇女和宮をはじめ公家方の姫君には小田井宿は人気があり大いに宿泊に利用され「姫の宿」と呼ばれていました。 宿内には現在雨水溝となった馬、人兼用の用水路が流れていました。 |
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長倉諏訪神社 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(神馬舎) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小田井宿東口から中山道筋を少し反れた西側に長倉諏訪神社があります、この諏訪神社は1588年(天正16年)に小田井宿の町割りがなされそれと同時に上小田井から此処へ移されました、小田井宿は戦国末期には既に宿駅で当時の家屋は26軒であったと云います。 長倉諏訪神社の脇には毎年2月8日の「小田井道祖神祭」に使用する蕎馬が安置された神馬舎が建っています。 |
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小田井宿本陣安川家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小田井宿の中程に小田井宿本陣安川家があります、切妻造の客室の「しきだい」、「ひろま」、「さんのま」、「にのま」、「じょうだんのま」は1756年(宝暦6年)の大改築後の状態となっています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1861年(文久元年)の皇女和宮の江戸への降嫁の際に「かわや、トイレ」と「湯殿、風呂場」が増設されました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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高札場跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本陣安川家の南側並びには高札場が置かれていました、現在小田井宿の案内版となっています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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上の問屋場 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高札場跡の更に南隣は上問屋があります、本陣安川家とは別の安川家が独立したかたちで勤めていました、家屋の造は1831年(天保2年)以前のものとされ荷置馬、帳場、客室、厩、土間が大変良好な状態となっています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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小田井宿脇本陣跡と旅館「大黒屋、和泉屋」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(小田井宿脇本陣跡) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上問屋から少し先の郵便局手前に小田井宿脇本陣跡の票柱が建っています、小田井宿脇本陣「すはま屋」は明治維新の後に東京へ移転して建物は取り壊されたと云います。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(旅館大黒屋、 旅館和泉屋、) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便局の道路の反対側と南隣に二階出格子造の旅館が一軒づつ建っています、大黒屋と和泉屋です、郵便局の道路対面の大黒屋は17世紀末の建築様式で小林家が名主を兼任しながら経営していました、南隣の和泉屋は尾台家が営み18世紀中頃の建築物と言われています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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下の問屋場 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小田井宿の西口手前に下問屋があります、1772年(明和9年)小田井宿の大火の直後に建てられた建物です、当初安川家が勤めていましたが18世紀の中頃以降からは尾台家が勤めています、荷置場、帳場は大戸の脇の建物を使っていました、豊富な「ケヤキ材」を使用した豪華な造で当時の財力はかなりなものであったのでしょう。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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小田井宿西口 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
下問屋の先は小田井宿の西口です、道路は緩やかに屈曲して枡形の形状を現在にとどめています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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中山道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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