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 奈良井宿  
   
   
   
 中山道筋は奈良井宿へ入ります、奈良井宿の1843年(天保14年)の人口は2155人、家屋409軒、本陣、脇本陣は共に1軒、旅館は5軒でした、当時としては人口2155人の大規模な宿場でその割に旅館はわずか5軒です、奈良井宿は他の宿場とは大きく異なり旅館業よりも曲げ物、櫛、漆の器など木工細工を主な産業とした職人の町でした。  

 
   
 杉並木の下り坂  
   
   
 奈良井宿の北口に向かう下り坂は杉並木道となっています、此処には二百地蔵が祀られその脇を通ります、現在この杉並木道は道が途切れている為に一方通行となります。  

 
   
 下町  
   
   
  北口から下町に入ります、奈良井宿は下町、中町、上町の3区画にわかれてその間に出梁造、千本格子、卯建といった江戸期さながらの商店、土産屋、旅館などがズラリと立ち並んでいます。
 下町には主に漆細工の土産屋が多く見受けられます。
 

 
   
 枡形跡、下町水場  
   
   
   
 下町に入ると直ぐに専念寺の参道口があります、この参道口は枡形であった様です、その少し南に下町の水場が見えます、自噴井戸で噴水の様に水を湛えています、奈良井宿にはこの様な自噴井戸の水場が六ヶ所存在しています。  

 
 下町南の水場
 
   
 下町、中町の境付にも近に大きな枡の水場があります、その周辺は公園となっています。  

 
 中町  
   
   
 中町に入ると直ぐに千本格子の家屋が3軒連なって建っています、江戸期の奈良井宿の裕福さがわかります、中町は道幅も広く本陣、上問屋もあった事から宿の中心繁華街であったのでしょう。  

 
 マリア地蔵、大宝寺参道  
   
   
 享保年間に造営された嵯峨庭園で知られる大宝寺は頭部が無いマリア地蔵が安置されています、寺内の土中より発見された事からマリア地蔵は隠れキリシタン迫害の際に首をもがれ土中に埋められたと考えられています。  

 
 脇本陣徳利屋  
   
   
 大宝寺参道の斜め向かいに奈良井宿郷土館である徳利屋が建っています、家屋は築150年です。  

 
   
 伊勢屋  
   
   
 徳利屋から少し進み中町の中程に幕末に脇本陣、下問屋を営んだ伊勢屋が在り現在も旅館を継続しています。  

 
   
 上問屋資料館  
   
   
 奈良井宿には上問屋、下問屋の2軒あり半月交代で勤めていました、上問屋の手塚家は1602年(慶長7年)から明治維新に至るまで問屋場を勤め天保年間以後は庄屋も兼任しています、現在その家屋は国指定重要文化財として公開保存されています。  

 
   
 上町鍵の手  
   
   
 丁度中町と上町の境に水場があります、奈良井宿本陣はこの水場の裏手にありました、現在火災により消失して公民館となっています、水場の前の道筋が鍵型に大きく屈曲しています、これが宿場の有事と治安を考慮した設備である「鍵の手」です。  
 
 鍵の手は木戸、柵などを設けて盗賊、敵軍が一気に宿内を通り抜けられない様に道筋をわざと屈曲させています。  
   
 鍵の手付近には抜け道や脇道など無く家屋と家屋の間を密接させています、此れにより例えば戦時において外部からの攻撃を受けた場合に宿場の各出入り口の木戸、枡形を閉ざして外からの侵入を遮断し宿場を臨時の要塞とする事ができるのです。  

 
 上町  
   
   
   
 上町に入ると道幅は少し狭く成ります、中山道筋で上町は京都側、下町は江戸側になります、上町には出梁造の家屋が多く見られます。  

 
   
 漆櫛問屋中村屋  
   
   
 上町の中程に漆櫛問屋の中村屋があります、中村屋の造は格子の二階窓、その両脇の袖卯建、長くのびた小屋根、一階大戸脇のくぐり戸、その横の蔀戸といった奈良井宿の典型的な商家の造です、また一、二階間の小屋根は泥棒避けの為に抜け落ちる仕掛けになっています。  

 
   
 高札場跡  
   
   
 宿の南口へ向かうと緩やかな坂道となり御触書などを掲げる高札場が設置されています、その直ぐ脇に奈良井宿南端の水場があります。  
   
 (奈良井宿水場)  

 
   
 鎮神社  
   
   
 奈良井宿の南口に鎮神社が建立されています、1582年(天正10年)領主「奈良井義高」が鳥居峠よりこの地に移したと云います、社殿の周りは樹齢100年の杉、檜、栃などに囲まれています。  

 
   
 奈良井宿南口の枡形  
   
   
 鎮神社の脇が奈良井宿の南口です、入口は枡形の小口に成っていました、枡形とは入口を方形状の土塁、石積で囲み二重の木戸を設けて敵軍の侵入を防ぐ設備です、もし敵軍に一つに木戸を突破された場合にもう一つの木戸で防ぎながら周囲の土塁、石積より弓、槍などで攻撃できる仕掛けと成っています。  
   
 (枡形の例、    信州松代城の馬出、枡形、)  
   
  枡形は中世、江戸期の城の小口に設置されている馬出や枡形と同じ役割です、江戸期の宿場町はこの様に要害の設備を取り入れ有事に備えていました。  

 
   
 奈良井木曽の大橋  
   
   
 奈良井宿の西側の奈良井川に江戸期の太鼓橋を再現した奈良井木曽の大橋がかけらています、総檜造のこの橋は急流河川に見られる橋桁を使用しない構造となっています。  
   
 (奈良井木曽の大橋)  

 
   
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