関東、温泉と旅行記 | 木曽方面 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(木曽川) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
江戸から数えて中山道37番目の宿場町である福島宿は山並に宿場が広がっている為に多少入り組んだ町並みとなっています、まず高台の福島関所を通り上町へと下り「上の段坂」を登り「上の段町」へと向かいます、そこからまた坂を下り八沢町を抜けて下町へと達しています、更に代官屋敷は木曽川の対岸に位地しています、この様に山間の宿場の為に宿を抜ける街道筋が高低差と屈曲を伴っています。 1843年(天保14年)の福島宿の人口が972人、家屋158軒、本陣、脇本陣共に1軒、旅館14軒でした。 |
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福島関所 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福島宿の北口の宿場を一望する高台に福島関所が在ります、関所は慶長年間の1596年~1615年に創設され木曽代官山村氏が守っていました、江戸幕府が設置した五街道50箇所の関所の内東海道の箱根関所、新居関所、中山道の碓氷関所、福島関所は四大関所と称され重要視されていました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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興禅寺、木曽義仲の墓 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(興禅寺枯山水庭園) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
街道筋を少し離れて木曽川対岸の興禅寺へ向かいます、木曽三大寺の一つに数えられる興禅寺は木曽氏と代官山村氏の菩提寺です、1434年(永享6年)に木曽氏12代信道が先祖木曽義仲の菩提を弔う為に建立しました、寺内には4つ庭園があり見所となっています、また興禅寺の西隣には木曽義仲の墓が祀られています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(木曽義仲の墓) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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山村代官屋敷 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木曽代官山村氏は元々木曽氏の重臣で1600年(慶長5年)の関ヶ原の合戦で徳川秀忠の先陣を勤めて勝利をした事から地元木曽地方の代官職に任命されました、山村氏は木曽代官職と福島関所を兼任で勤めその財政力はとても豊かで大名に匹敵する程でした。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(代官屋敷脇の水場、 代官屋敷庭園、) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
明治維新の後に山村代官屋敷は郡役所として使用されました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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木曽川 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
急流で知られる木曽川は福島宿の南北を流れています、古代より幾度も大氾濫を起こして木曽地方の住民を苦しめていました、木曽地方の言葉に「四刻、八刻、十二刻」があります、これは大雨の時に洪水が到達する時刻を予測したものと云われています、しかしその反面木曽川水系は軍事、産業に大いに利用された事も事実です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(木曽川の急流) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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木曽川親水公園足湯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(復元された旧行人橋) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山村代官屋敷から県道263号線を西方向に進むと木曽川に御岳山の参道口であった旧行人橋が復元されています、行人橋を渡と直ぐに木曽川親水公園があり木曽川を眺めながら足湯につかる事ができます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(木曽川親水公園) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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上の段町 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(脇道を流れる上の段用水) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木曽親水公園から「上の段坂」を登り上の段町に入ります、宿場時代の様子をとどめている「上の段町」は他の町割りより高台に位地して南北の出入り口は鍵の手となっています、町中にひかれた「上の段用水」の水場は今でも現存して南側の鍵の手には井戸なども残っています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(上の段用水の水場、 南鍵の手の井戸、) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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八沢町 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上の段町から県道269号線に出て木曽福島駅方向へ進むと八沢町へ入ります、八沢町は漆器、櫛、檜家具などの木工細工を主に取り扱う職人の町でした、現在も檜家具や漆用品の店が点在しています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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中山道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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