関東、温泉と旅行記 |
東京23区 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
大手口 |
|
|
|
|
|
|
|
|
(高麗門) |
(外門) |
|
|
|
|
大手口から三ノ郭へ入ります、枡型の大手口外門を抜けると右手に高麗門がありその内側が三ノ郭です、太田道館が築城した江戸城は三ノ郭が外郭で家臣団の居住区でした。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
同心番所と百人番所 |
|
|
|
|
|
|
|
|
(同心番所) |
(百人番所) |
|
|
|
|
|
|
大手門の西に大手三ノ郭門があります、大手三ノ郭門も又枡型門でその内側には同心番所が配置されています、一般的にこの門を通れるのは尾張藩、紀州藩、水戸藩の徳川御三家の三藩のみで他の藩は此処で通行許可を得て中に入ります、大手三ノ郭門を通ると百人番所がおかれています、百人番所には通常100人の同心と鉄砲100人組と呼ばれた旧伊賀党、旧甲賀党などの忍者衆で警備にあたっていました。 |
|
|
|
(大手三ノ郭門) |
|
|
|
|
|
|
|
|
中之門と大番所 |
|
|
|
|
|
|
|
|
(中之門) |
(大番所) |
|
|
|
|
|
|
百人番所から中之門を通ります、この中之門の石塁は隙間無くきっちり積まれている為に現在復元されたものと思いましたが修復はしているそうですが「切込みはぎ」と呼ばれる当時の技法だと言います、その中之門の内側には城内の番所を取り仕切る大番所があります、 |
|
|
|
|
|
|
|
|
本郭天守台 |
|
|
|
|
|
|
|
|
(寛永期天守イメージ) |
(万治年間の天守台) |
|
|
|
|
|
|
大番所前から中雀門を抜けて本郭へ入ります、本郭の北側には天守台が残っています、江戸城天守閣は当初1606年(慶長11年)徳川家康の時代に現在の天守台より南の本郭中程に建てられ1622(元和8年)二代将軍秀忠の時に現在の位置に建替えられました、その後1638年(寛永15年)三代将軍家光の時代にも建替えが行われその時の天守閣は地上高55mの五層五階建てです、前面に小天守が建てらる予定でした中止され土台のみ造られています、その最上部からは下総まで遠望できたと云います、しかし1657年(明暦3年)の江戸の大火により焼失して翌年の万治元年に天守台が建造されましたが江戸の町の復興が優先であり天守閣などは時代遅れとして再建されないまま天守台のみ残っています。 |
|
|
|
この天守台の前に本丸大奥、更にその前には本丸御殿が建っていました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
白鳥濠と汐見坂 |
|
|
|
|
|
|
|
|
(白鳥濠) |
(汐見坂) |
|
|
|
|
|
|
本郭から汐見坂を下りニノ郭へと向かいます、汐見坂の南側は白鳥濠です。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
二ノ丸庭園 |
|
|
|
|
|
|
|
|
(諏訪の茶屋) |
|
|
|
|
|
|
汐坂から二ノ丸雑木林を抜けて二ノ丸庭園に向かいます、丁度この辺りに二ノ丸御殿がおかれていました、二ノ丸庭園の北側には江戸期に吹上御所に在ったとされる諏訪の茶屋が移築されています。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
天神濠と馬出し |
|
|
|
|
|
|
|
|
(天神濠) |
(馬出し) |
|
|
|
|
|
|
二ノ丸庭園から平川門へ向かいます、天神濠の西側を通り梅林坂の前を過ぎた辺りで道は東方向へ曲りその直ぐ先の石塁で囲まれた馬出郭を通り抜けて道成りに進むと平川門へと達します。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
トップページ 城址 東京都史跡 江戸城 中世江戸城CG |
|
|
|
|
|
|