江戸城の縄張りですが皆さんご存知の通り現在、皇居と呼ばれる東京千代田区の江戸城址は江戸期以降に徳川幕府により幾度も改築され今に至っています、ではそれ以前の江戸城とはいかなる城であったのでしょう? 1457年(長禄元年)太田道灌が江戸城を築城した頃、海岸線は平川郷、今の神田辺りまできていました、当時の神田は入り江状と成りその海岸の台地に道灌は江戸城を築いたのです、その構造は道灌と交流のあった高僧万里集九が次の様に書き残しています、「其の塁営の形たるや、曰くね城、曰く中城、曰く外城と云ふ、凡そ三重なり、」本郭からニノ郭、三ノ郭と連なり、その三重の郭の下、現在の大手門付近に惣郭が存在し香月亭と呼ばれるあずま家、茶庭が有りました、又本郭には高閣の建造物、静勝軒が築かれています、その静勝軒が後の天守建築のはじまりでした。 |
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三ノ郭 | ||||
本郭には高閣建築の静勝軒が建ち、更に北条氏時代には城主遠山氏の屋敷があった。 | ||||
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本郭、ニノ郭 | ||||
三ノ郭には根古屋、兵の詰所などが並んでいた。 | ||||
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香月亭 | ||||
三ノ郭の下手に惣郭が構えられ、その中に香月亭と呼ばれる茶庭を備えたあずま家が存在します。 | ||||
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平川 | ||||
大手の前に平川(神田川)が流れ、その対岸には城下の町の家々が軒を並べていました。 | ||||
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平川郷、神田の港 | ||||
戦国期当時、神田は入り江状と成っていました、神田の港は漁港、軍港、交易の港であったのです、港には西国の商船などが常時行き来し、出雲、和泉、奥州、越後、鎌倉などの特産物を商う店があったそうです。 | ||||
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高僧万里は江戸城内には図書館があり、中国の兵書、農書、史伝、和歌集などが数千冊保管されていたと伝えています、道灌の築いた江戸城とその城下町は軍事目的のみに止まらず、商業、文化、交易、産業と幅広い目的を持っていた町であったです。 | ||||
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