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(小前田宿) |
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鎌倉街道上道は高見、今市を過ぎて更に北上し荒川へと到達します、そこから対岸に渡り4km程河川沿いに延びてまた北上して小前田宿へと続いていました。 |
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赤浜の渡し |
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(赤浜の渡しと獅子岩) |
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鎌倉街道上道は荒川へ出ます、古来この辺りの地名は赤浜でこの渡し場を赤浜の渡しと云います、赤浜の渡しには獅子岩が在り川の水量をはかる目安とされ水量が増すと川止めされた為にこの岩を川越岩とも呼んでいました、対岸に渡ると街道は河川沿いに進む道筋と直進して北上し榛沢方面へ通じる道筋の二方向に分かれていましたが現在榛沢方面の街道筋は消滅しています。 |
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河川沿いの街道筋 |
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一方の街道筋は荒川河川沿いの高地を上流方面へと向かっています、途中には街道筋を思わせる道標群なども在ります。 |
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(道標群) |
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お茶々が井戸 |
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河川沿いの道筋の最端まで行くとお茶々が井戸と呼ばれる井戸が在ります、昔この井戸のすぐ脇に茶店が在りお茶々と云う美しい娘が働いていたと云います、古文書によれば茶店には「ちよう」と言う客接待の上手な美しい娘がいた為に街道筋で評判と成り茶店は大変繁昌したので(お茶屋の井戸)と呼ばれたそうです。(案内板記載) |
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お茶々が井戸の真下は荒川の渡し場で対岸には小川町方面に通じる道筋が在ったそうです。 |
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秩父往還道との交差路 |
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(お茶々が井戸の渡し場から北上する鎌倉街道上道、 鎌倉街道と秩父往還道との交差路) |
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お茶々が井戸付近で鎌倉街道上道は荒川から反れて北上していました、少し先で秩父往還道(県道140号線)と交差しています、秩父往還道は中山道中である熊谷市の石原から寄居、秩父大宮、栃本、信濃国へ通じる江戸期の主要幹線道です。 |
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小前田宿の入口 |
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小前田宿の入口は鎌倉街道筋から秩父往還道を700m程東に進んだ所に在ります、小前田宿の中心街は鎌倉街道筋から東に反れた位地に集落が点在していたのでしょう。 |
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小前田宿 |
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小前田宿にはいります、宿の中程には諏訪神社が在り大凡小前田宿はこの諏訪神社を中心に繁栄した為に鎌倉街道よりいささか東に反れているのでしゅう、もっとも鎌倉街道の枝道が宿内を通っていたとは考えられます。 |
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諏訪神社 |
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明治の初め神社の例祭の時には三台の屋台が笛、太鼓、鐘と屋台ばやし賑やかに宿内を引き回されたと云います、例祭時には神社を起点に1km程道路の両側に露店が連なり数千人の人出があったそうです。 |
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秩父鉄道本線小前田駅 |
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小前田駅は1901年(明治34年)に上武鉄道(秩父鉄道)寄居駅~熊谷駅間の開通に伴い開業されます、当時鎌倉街道上道、秩父往還道は北武蔵の主要幹線道路でその二道が交差する小前田宿は交通の要所でした、街道筋を行き来する通行人で賑わう小前田宿も20世紀に入るといよいよ近代化の波の中へ入って行きます、まだその時代には真新しい鉄道の開通を宿場の人たちはどんな思いで見ていたのでしょうか? |
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(小前田駅を通るC58蒸気機関車パレオエクスプレス) |
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鎌倉街道上道 |
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